ゲンロン批評再生塾第二期「道場破り」(第一回) 「いま、ここ」から「いま、そこ」へ 上北千明の「擬日常論」は、連載中の漫画2作品という最先端カルチャーを主な材料に、柳田國男から東浩紀までの近現代思想というスパイスをふんだんにまぶしながら、課…
写真における作為/作意(3) トゥオンブリーの描画技法にみる「越境性」 ドキュメンタリー映画『ぼくは写真で世界とつながる』(マザーバード、二〇一四年)の主人公で自閉症(+中度の知的障害)のアマチュアカメラマン、米田裕二(以下、裕二君)の写真…
生の芸術を廻って(7) 『子どもたちは未来のように笑う』にみるワークインプログレスという名の胎児 演劇には、本公演とは別に、プレ公演やリーディング公演、公開稽古というものがある。それらは、演劇好きの人にとっては面白く、また、金銭的にも安く観…
「障害者」と「健常者」の現在進行形(2) 親元と喉元を離れた音楽は手元へ――『LISTEN リッスン』評 聾者と健聴者が共に生きるこの世界において、音楽は一体どこへ向かうのか。昨年日本でも公開されたフランス映画『エール』は示唆的だ。主人公の高校一年生…
生の芸術を廻って(6) 『思い出し未来』にみる「おわり」と抗う「今日」 演劇において、あるシーンを反復する演出をリフレインと呼ぶ。昨今では、ままごとやマームとジプシーといった劇団の作品の中で頻出することによって、技法として確立されているよう…
生の芸術を廻って(5) 『思い出し未来』にみる反復的な終演の技法 前回の最後で、「生(き)の芸術」のはじまりを、引き続き『SELF AND OTHERS』にみていくと述べた。しかしながら残念なことに、恐らく今後『SELF AND OTHERS』へ本論の軸足を戻すことはな…
生の芸術を廻って(4) 『SELF AND OTHERS』にみる生(き)の芸術の「はじまり」 演劇の、その舞台の始まり方は多様である。例えば、開演に先立つ注意事項を観客の前でアナウンスする人物が、そのまま演技を始めることでシームレスに舞台が始まるケースがあ…
生の芸術を廻って(3) 「アール・ブリュット」の未来 ここまで、二つの記録映像を通して、「アール・ブリュット」の現在と過去、すなわち、現状と課題について考察してきた。それは端的にいえば、「アール・ブリュット」という言葉が本来の意味から遠く離…
生の芸術を廻って(2) 「アール・ブリュット」の過去 前回に引き続き、二〇一六年一月二十四日(日)行われた、「障害のある方の創作風景とその日常に学ぶ 創作記録映画 上映会~生きること は 創ること~」というイベントから、「生(き)の芸術」につい…
生の芸術を廻って(1) 「アール・ブリュット」の現在 正式な美術教育を受けていない作家による芸術作品のことを、「アウトサイダー・アート」と呼ぶ。美術評論家の椹木野衣は、昨年著した新書『アウトサイダー・アート入門』の中で、アウトサイダー・アー…
写真における作為/作意(2) 映画『カメラになった男』にみる自意識の解体と再生 今から二ヶ月前に公開した本連載の第一回において私は、自閉症(+知的障害)を持つアマチュアカメラマンの青年・米田裕二(以下、裕二くん)の写真を批評対象とし、彼の撮…
「障害者」と「健常者」の現在進行形(1) 映画『DOGLEGS』にみる現代人における強迫観念 「障害者」、そして、「健常者」にとって、現代とはどのような時代なのだろうか。それは、今この時を世界でも有数の大都市・東京で生きる、人の心が端的に映し出して…
一流野球選手の身体の転回に観る全身まひ者(5) 「大きな丸い物」と「噴き出す水」 劇団「態変」の旗揚げ公演から、『水は天からちりぬるを』公演までの間には、四年弱の月日が流れている。その間、筋ジストロフィーを持つK君という団員の死があり、彼の…
一流野球選手の身体の転回に観る全身まひ者(4) マイノリティにおける〈間性〉を経た、旗揚げ公演『色は臭へど』 前回は、『生きることのはじまり』に基づいて、金満里には劇団「態変」を旗揚げする前段に、七〇年代障害者運動との関わりとその後の沖縄へ…
一流野球選手の身体の転回に観る全身まひ者(3) 劇団「態変」旗揚げ公演前夜 ある芝居小屋の客席にて。 開演のベルを合図に客席の明かりがおちて真っ暗となり、しばらくすると役者の出を待つかのように舞台が明るく照らし出される。しかし、いっこうに役者…
一流野球選手の身体の転回に観る全身まひ者(2) 脳性まひ者と七〇年代障害者運動 「〈身体の一部が自分でない〉エクササイズ」を行うため、四人の役者が舞台の前に出てきて、中央に横並びする。向かって右から二番目の「イチロー」がインストラクターとな…
一流野球選手の身体の転回に観る全身まひ者(1) プレイボール 連載第一回となる前回は、二〇一四年公開のドキュメンタリー映画に主人公として出演した、自閉症(+知的障害)のアマチュアカメラマンの青年・米田裕二(以下、裕二君)が撮る写真そのものを…
贅沢貧乏『みんなよるがこわい』(三鷹北口共同ビル2階、2015年)は4人芝居というよりも1人+3人芝居で、1人の心中のネガティブな思考回路や葛藤が、3人の口喧嘩という形で表現される。 3人は同じ衣装を身にまとっていて、1人の寝ているベッドの下の狭い空間を…
1.国内のドキュメンタリー 日本におけるドキュメンタリー映画の隆盛は目覚ましい。キネマ旬報の年間ベストテンには久しく文化映画部門が設けられ、故・小川紳介が立ち上げた「山形国際ドキュメンタリー映画際」は1989年の第一回から現在まで隔年の開催が続け…
原田宗典が「新潮」8月号に発表した「メメント・モリ」。「私」が遭遇した生者と死者、常人と狂人についての記憶の断片が、長い歳月をあっちこっち飛びながら描かれている。古い友から届いた久しぶりの便り。胸の高まりに急かされて、部屋に戻る前に封筒を破…
はじめに 「障害者」という言葉がある。その対義語として、「健常者」という言葉がある。この二つの言葉が存在しない世界を探す旅に出よう。健常者の私は、障害者のあなたとともに。 写真における作為/作意(1) 私が前号(vol.4)に寄稿した長文批評で触…
賢明な読者の皆様方におかれましてはお察しのことと存じますが、今回の文フリで刊行する予定だった、 『スピラレ vol.5』の埋め合わせが、このブログ、『スピラレ スキップト』となります。 我々「スピラレ」一同は、これまでの二年間、半年に一回のペースで…