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『スピラレ スキップト』

一回飛ばしの批評です。 2013年、渋谷にある映画美学校にて開講された「批評家養成ギブス第二期(主宰:佐々木敦)」の修了生有志による、批評同人誌『スピラレ』のWEBサービスw http://spirale.hatenablog.com/ twitter@spira_le

【短評】だれもが浜辺をただよう凧、あるいは岸辺を旅する人-原田宗典「メメント・モリ」と黒沢清『岸辺の旅』に見る彼此のあわい- text安里和哲

 原田宗典が「新潮」8月号に発表した「メメント・モリ」。「私」が遭遇した生者と死者、常人と狂人についての記憶の断片が、長い歳月をあっちこっち飛びながら描かれている。古い友から届いた久しぶりの便り。胸の高まりに急かされて、部屋に戻る前に封筒を破ると便箋はとつぜんの風に飛ばされる。順番のめちゃくちゃになった何十枚もの便箋を拾ったそばから次々に読むような気分。

 とはいえこれは小説なのだから、作者・原田宗典が意図した順番に並んでいるに決まってる。けれど実際、この小説はどこを拾って読んでもすこぶるおもしろいのだ。ネパールで牢屋に入った男、紛争に参加しメコン川のそばに住む日本人の若者、100円ライターのガスに夢中のパグ犬などなど「私」が会ってきた人びとについての話、そして「私」自身の話は、一度読むとふと思い出して笑ったり、考えいったりしてしまう。そしてたまに拾い読みしたくなる。そういう魅力のある小説だ。

 でも、以下では考えいってしまったことについて、少し書いてみよう。この小説について考えることは、いま、とても大事なことだという直感があるのだ。

 

 生者と死者、常人と狂人の境界が「メメント・モリ」では曖昧模糊としている、が、しかし、一度彼岸(死・狂)に行ってしまえば、それは舞台の照明が落ちる「暗転」や、瞼が縦に閉じるような「反転」であり、だからそこから帰ってくるのはむつかしい。不可能ではなくむつかしい、と言ったのは、「私」が彼岸から帰ってきた男だからだ。

 夫婦ゲンカの果てに首を吊ったときの「暗転」、躁うつ病覚せい剤の使用、その末の逮捕といった「反転」。「私」はそれらの彼岸に足を踏み入れてしまっても帰ってきた。死にもの狂いで? そうかもしれない。しかし「私」がどのようにしてカムバックしたのかは、ここに描かれない。

 ただただ、さまざまな生と死、正と狂の記憶が、事の重大さに比較してあっけらかんと、『十九、二十』の頃を思い出させる爽やかさでもって語られていく。留置場で18番となった「私」は、18を経て「大人の不純さ」に気づいて19、20歳の青年に戻ったのだ。

 「私」はまた青年への「最中」に帰ってきたのだ。「私」は空にたった一本の糸で繋がれただよう浜辺の凧のように宙ぶらりんだが、それはただただきれいで、心底「いいなあ!」と思ってしまうものだ。

 彼岸と此岸のあわいを実際にただようことは、その凧の見た目の美しさとは裏腹にむつかしいだろう。だろう、と言ってしまうのは、「私」は死にもの狂いで彼岸から此岸へと戻ってくる日々を語らないからだ。彼岸の縁で、あるいは彼岸において見たこと聞いたことをおもしろおかしく語ることが、「私」にとっての美しさの体現なのだ。

 

 原田宗典はむかし、お金のなかった学生時代勉強そっちのけでバイトに精を出していたが、だからこそ人並み以上に遊んだと、どこかで読んだが、多分、そのときの振舞いは、この小説のラストで描かれる浜辺の空に浮かぶ凧の美しさと同じものだ。本当は危うい宙ぶらりんなのに、それを人目には美しく見せる、それが原田宗典のプライドなのだ。精いっぱいの、死に物狂いの姿は見せない。

 

 原田宗典をフィルターにして彼岸をおもしろおかしく、そして切なく眺めた直後、具体的には一週間後、私の母がとつぜん死んだ。母が亡くなって2ヶ月後、私はまた彼岸と此岸のあわいについて思い馳せる作品に出くわした。黒沢清『岸辺の旅』だ。

 

 

 『岸辺の旅』では、死んだ夫と残された妻が彼岸と此岸のあわいを旅する。行方不明となり3年ぶりに姿を現した夫はあっけらかんと「おれ、死んだよ」と告げ、妻はそのことにさほど驚きもせず、再会を喜ぶ。2人は共に、行方をくらました3年の間、夫が世話になった人びとに会いに行く。

 旅先で出会う人々もまた、生きているのか死んでいるのか、妻には見分けがつかない。彼岸に行った(という自己認識をもつ)者だけが、生者と死者の区別をつけられるのだ。

 旅の途中、此岸の人間である妻は「ずっとこんなところで暮らせたらいいのになあ」と言う。夫が生きていた頃よりも楽しい日々、この日々が続いてほしいと思うけれど、もちろんそれが叶わぬ願いであることには、感づいている。

 夫は、寂れた岸辺へと妻を連れていき、忽然と消える。夫を亡くした妻は、その岸辺で夫の無事を願って書いた100枚の祈願書を燃やし岸辺を去る。彼女の表情には、悲しみよりも決意のようなものが浮かんでいた。

 さて、彼岸と此岸のあわいを行く旅は終わった、のだろうか。

 「Invisible Touch 『岸辺の旅』論」で阿部和重は、『岸辺の旅』を色彩劇であると指摘した上で、それが目指したのは無と有の対立を乗り越えるドラマだったと喝破する。白に黒で描かれた祈願書は橙色の炎に包まれ焦げ褐色に染まっていく、それはさながら「生と死の重なり合った中間性の形象化として橙色のコートを身にまとって」やってきた夫を思い出させる。実際、夫は岸辺へと赴く前に、自ら誘ってセックスする。妻は夫と、あるいは夫も妻と重なりあってこれからも生きていくのだろう。

 一度たりとも同じ線を描くことのない波、それのよせる岸辺を行く旅は続くのだ。

 

 

 生と死、正気と狂気、固定的な境界線はない。波はたえず異なる線を描く。  死や狂気は対岸にあって私たちの日常と遠く隔たっているわけではなく、すぐそばにある。死者も狂人も私たちのすぐそばに既にいて、すぐそばに「生まれる」。次の瞬間には私たち自身が死んだり狂ったりするのかもしれない。私たちは、地上と一本の糸でつながる浜辺の上空をただよう凧であり、岸辺に打ちよせる波のすぐそばを歩いていく人である。

 私はいままで、波のそばを歩けるのは、「メメント・モリ」の「私」のような人だけだと思っていた。そして、自分自身は波から遠く離れた場所にいると信じて疑わなかった。しかし、実際には誰もが「岸辺の旅」をしているのである。

 

 4年前に東北で、彼岸と此岸のあわいを溶かした大波が私たちに教えたのは、そういうことだったのかもしれない。

 そして4年間あの波のこと、あの波を起こした揺れのことを忘れなかった人たちが今年、これらの作品をつくりあげたのだろう。

 

 先日、パリでISによる同時多発テロが起こり129人が死んだ。フランスは戦争状態に入った。やはり彼岸と此岸に境界は限りなくあわい。