『スピラレ スキップト』

一回飛ばしの批評です。 2013年、渋谷にある映画美学校にて開講された「批評家養成ギブス第二期(主宰:佐々木敦)」の修了生有志による、批評同人誌『スピラレ』のWEBサービスw http://spirale.hatenablog.com/ twitter@spira_le

【連作批評】「障害者と旅する」第三回 textたくにゃん

一流野球選手の身体の転回に観る全身まひ者(2)

 

  脳性まひ者と七〇年代障害者運動

 

 「〈身体の一部が自分でない〉エクササイズ」を行うため、四人の役者が舞台の前に出てきて、中央に横並びする。向かって右から二番目の「イチロー」がインストラクターとなる。両手を前方に突出し、手首から先をぶらぶらとさせてみせ、「手首から先が、自分じゃない」と発声する。三人も倣う。「肘から先が、自分じゃない」、「肩から先が自分じゃない」。靴を脱ぎだし、「足首から先が、自分じゃない」、「膝から先が、自分じゃない」、「腰が、自分じゃない」、「首から下が、自分じゃない」。この時点で、四人の身体は手足をあらぬ方向へと振り乱し、凡そ自らの意思に逆らう肢体と化している。柔軟性といい、その狂気振りは圧巻である。だが、本当の驚愕はその後に待っていた。残すエクササイズが幕を開ける。「首から上が、自分じゃない」。狂気は速度を上げ、もはや彼らの意思は何者かの力に包含され、その演技は激しさの極点へ登り詰める。その時だった。「イチロー」の姿が、ある虚像と重なって見えた。「イチロー」役の捩子ぴじんは、どちらかといえば日本人にありがちな猿顔的要素を持った顔立ちだが、それに加えて床に膝を付けて、肢体をぐにゃりとさせ頭部も振り乱している錯乱状態の姿がまるで、原一男のドキュメンタリー映画『さようならCP』に出演している脳性まひ者、横田弘(一九三三~二〇一三年)にそっくりだったのだ。『さようならCP』は、一九七〇年代に一世を風靡した脳性まひ者(青い芝の会)による障害者運動と、その中心人物であった横塚晃一と横田弘らに迫った、映画監督・原一男の鮮烈なデビュー作である。横塚の代表的な著作に『母よ!殺すな』が、横田には『障害者殺しの思想』があるが、そのタイトルに端的に表れているように、青い芝の会は障害者の問題にラディカルな提言を行った、脳性まひ者による運動団体であった。『さようならCP』のラストシーンでは、路上に立つ(座る?)全裸の横田がカメラと対峙する。その画は決定的に印象的であり、今年刊行された『障害者殺しの思想』の増補版の、表紙を飾っているほどである。だが、どんなに横田が表象する脳性まひ者のイメージと、身体の全部が自分でなくなった「イチロー」の姿が重なるとしても、それは横田や脳性まひ者の姿を知らない観客からすれば、全く共感できない話であろう。勿論、知っている観客であったとしても、共感するとは限らない。では、単なる一解釈が偶然現出しただけだと、この体験を一蹴できるだろうか。否、この感覚を深化することで、『God Bless Baseball』という演劇作品全体の見かたまでもが変わる。その契機は、青い芝の会による障害者運動の直後の時代にある。

 二〇〇八年、生活書院から山下幸子著、『「健常」であることを見つめる――一九七〇年代障害当事者/健全者運動から』という書籍が刊行されている。山下によれば、七〇年代の障害者自立運動は三者体制で行われていた。「運動を担ったのは、青い芝の会やグループリボンといった障害者当事者のグループ、グループゴリラのような健全者運動組織だけではな」く、「もう一つ、「障害者問題資料センター・りぼん社」〔…〕という組織が一九七三年一月に結成されている。りぼん社は、「『さようならCP』関西上映実行委員会」のメンバー(健常者のみで、当時は反公害運動など社会運動を行っている者が多かった)を中心に構成され」ていた。この三者体制を明らかにした本著の功績は大きい。そこには、「青い芝の会とグループゴリラが存在した時間を「蜜月の時間」と」表現し、私たちの「健全者(健常者)性」を問う希少な視座がある。その中で注目したいのは、次の一文である。

関西の重度障害者としては、一九七五年、金満里が初めて自立生活をすることになる。

この「金満里」という人物は、一体何者なのか。山下はその多くに触れていない。彼女の存在に触れた書籍として思い出されるのは、上農正剛『たったひとりのクレオール 聴覚障害児教育における言語論と障害認識』(2003年)である。本著の中で上農は、金満里が「態変」という劇団を主宰していたことに、注の中で微かに触れているのみだ。

何だって?

二つの情報を繋げると、つまりこういうことになる。

重度の障害者が主宰する劇団が、かつてこの国には存在していた。(今も存在している?)

私たちは『God  Bless Baseball』という演劇作品の見かたを変えるために、この劇団「態変」と、金満里という重度障害者についてもっと知る必要がある。そのためにも、次回は金満里の著書、『生きることのはじまり』を手に取ることから始めよう。