『スピラレ スキップト』

一回飛ばしの批評です。 2013年、渋谷にある映画美学校にて開講された「批評家養成ギブス第二期(主宰:佐々木敦)」の修了生有志による、批評同人誌『スピラレ』のWEBサービスw http://spirale.hatenablog.com/ twitter@spira_le

【連作批評】「障害者と旅する」第九回 textたくにゃん

生の芸術を廻って(1)

 

  アール・ブリュット」の現在

 

 正式な美術教育を受けていない作家による芸術作品のことを、「アウトサイダー・アート」と呼ぶ。美術評論家の椹木野衣は、昨年著した新書『アウトサイダー・アート入門』の中で、アウトサイダー・アーティストとして山下清ヘンリー・ダーガーらを紹介している。山下清は、「裸の大将」の呼び名で放浪画家として一般に知られている。知的障害があった清は、十二歳で入った養護学校で貼り絵と出会い、戦前から戦後に作品を残した。ところで、清のように障害のある作家による芸術を、「アール・ブリュット」と呼ぶ向きもある。他にも、「エイブル・アート」や「ワンダー・アート」、「ボーダーレス・アート」という言葉で呼ばれることもある。ここで厄介なことは、単にそれらの差異ではなく、例えば「アール・ブリュット」という言葉が本来、障害のある作家による芸術のみを指す言葉ではないことにある。そもそも、「アウトサイダー・アート」という言葉は、フランス語の「アール・ブリュット」の英訳語である。「アール・ブリュット」は、20世紀のフランスの画家、ジャン・デビュッフェが「生(き)の芸術」という意味を込めて提唱した概念である。要するに、「加工されていない芸術」を意味する。デビュッフェ自身は、主に精神障害者の絵画を収集&展示していた為、西欧では精神障害者の絵画作品が「アールブリュット」の主流である。しかし、日本では知的障害者発達障害者の活躍が目立つ。いずれにしても、障害者の絵画だけに留まらない、「生の芸術」が「アール・ブリュット」である。そうはいっても、例えばピース又吉の文学を「生の芸術」という観点で、いきなり評することには無理が生じるだろう。それでは、「ひまわり」や「夜のカフェテラス」という題の作品を残して自殺した19世紀の画家、フィンセント・ファン・ゴッホはどうか。晩年のゴッホの精神は狂っていたはずだが、彼の作品が死後に評価された時に、彼の精神状態が殊更に重視された訳ではない。ゴッホの作品を「アール・ブリュット」という観点で評することもまた、本質的ではないだろう。ここから、≪「アール・ブリュット」という言葉は、今のところ広く認知されていない障害者の芸術作品を、世に出す時の便利な言葉として使用されてしまっている傾向にある≫という方向性を導き出せる。それでは、本来の「生の芸術」という意味合いが追及されないままで良いのか。否。「アール・ブリュット」は、障害の有無やジャンルに関わらず、芸術について考える全ての人にとっての普遍的な命題だ。

 

 本日、二〇一六年一月二十四日(日)、「アール・ブリュット」が主題の映像作品が三本、東中野の西口からほど近いビルの九階にあるイベントスペースにて上映された。上映は、平成二十七年度独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成事業として行われた、「障害のある方の創作風景とその日常に学ぶ 創作記録映画 上映会~生きること は 創ること~」というイベントのメイン・プログラムだ。上映された三本の作品とは順に、記録映像『アール・ブリュットが生まれるところ』(二〇一四年)、ドキュメンタリー映画『まひるのほし』(一九九八年)、記録映像『日本のアール・ブリュット パリに上陸するの巻』(二〇一一年)である。また、プログラムの最後にはアフタートークがあり、一本目と三本目の上映作品を監督した代島治彦と、二本目の上映作品をプロデュースした山上徹二郎が登壇した。この貴重なイベントが日曜日の昼間に無料で開催されたことに、まずは感謝したい。何が貴重だったかといえば、まさしく「アール・ブリュット」の過去と現在と未来が、濃縮された時空間がそこにあったからだ。まずは、「現在」の話から始めていこう。

 『アール・ブリュットが生まれるところ』は、創作活動を営む十組の障害者と関係者を第一話から第十話という構成で、オムニバス形式で紹介する。単純な記録映像なのに、最後まで中弛みすることはない。その第一の理由は*1、カメラの前に表れる障害者たち一人一人が、とても魅力的だからだ。私は、これまでに障害者が登場するドキュメンタリー映像を数多く見てきているし、現実にも小さい頃から数多くの障害者と間近で接してきた経験があるが、それでも新鮮さは尽きない。何故、これほどまでに彼らから学ぶことがあるのだろう。そうは言っておきながら、一人一人紹介することは割愛する。何故ならば、それぞれを紹介するのに割かれた時間が十分弱しかない映像を前に、私が一人一人の魅力を言葉で語ったとしても、映像表現の持つ直観性には敵わないし、それを総括する結論部まで引っ張ることには婉曲性が必要となるからだ。したがって、本論を進めるにあたって本当に肝心なことだけに触れることを、予め了承頂きたい。その上で、私が特筆に値すると考える人物が一人いる。それは、第八話に登場する三井信義という「健常者」だ。彼は二〇〇七年、岩手県花巻に「るんびにい美術館」という、「アール・ブリュット」作品を尊重する施設を興した。美術館の一階は展示スペースだが、二階にはアトリエがある。そこからは、後にパリで行われる「アール・ブリュット・ジャポネ」展にも参加している、故 昆弘史も輩出されている。そんな「るんびにい美術館」を運営する、社会福祉法人 光林会の理事長である三井は、実は時宗の寺 光林寺の住職でもある。彼は、障害者に対する想いを次のように語っている。

死ぬまでサポートだと思いますね

創作活動を営む障害者も、いつかは老いて死ぬ。障害を持つ彼らにとって、死の直前まで創作活動を営める可能性は、「健常者」よりも相対的には低くなるだろう。更にいえば、障害を持つ人の寿命自体が、「健常者」よりも短いという現実もある。つまりこの台詞は、障害者が創作活動を営んでいる時だけ調子良くサポートすることへの、戒めの発言だ。この、「サポート」という言葉は、「介護」という福祉的な意味だけに回収されない。彼は一介の住職ではない。「アール・ブリュット」を志向/思考している。「アール・ブリュット」の本意が、「生(き)の芸術」にあることを思い出されたい。それは、端的にいえば「加工されていない芸術」という意味であることは前述した。「加工されていない芸術」の源泉は、生への衝動・欲求にある。彼らは、創作しなければ生きていけないと言っても過言ではない。三井の台詞を以下のように置き換えてみよう。

「死ぬまで創作だと思いますね」

生きている限り付きまとう創作。それは、まさに「生への衝動・欲求」を源泉とする、「アール・ブリュット」の本質である。「アール・ブリュット」を志向/思考するということは、障害や芸術性の有無に関わらず、人の命という問題を志向/思考することと同義なのだ。三井の発言を頼りにすれば、「障害者の芸術」と「人の命」の密接な関係性が浮かび上がる。これが、記録映像『アール・ブリュットが生まれるところ』にみる、「アール・ブリュット」の現在である。

*1:アール・ブリュットが生まれるところ』が中弛みすることはない第二の理由は、十組の背景にある物語性が生かされた構成となっている点にある。どういうことかというと、特に後半になるにつれて、話題性のある登場人物が選ばれているのだ。まず、第七話の主人公である蒲生卓也が福島県いわき市に住んでおり、身近で亡くなった障害者がいるエピソードが挿入されること。次に、第九話の安藤講平と平川病院には、彼らを題材にしたドキュメンタリー映画や書籍の存在があること。最後に、第十話のすずき(漢字が難しい)万里絵の絵のインパクトと、統合失調症故に他の障害者に比べて雄弁であることが挙げられる。