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『スピラレ スキップト』

一回飛ばしの批評です。 2013年、渋谷にある映画美学校にて開講された「批評家養成ギブス第二期(主宰:佐々木敦)」の修了生有志による、批評同人誌『スピラレ』のWEBサービスw http://spirale.hatenablog.com/ twitter@spira_le

【連作批評】「障害者と旅する」第十回 textたくにゃん

生の芸術を廻って(2)

 

  「アール・ブリュット」の過去

 

 前回に引き続き、二〇一六年一月二十四日(日)行われた、「障害のある方の創作風景とその日常に学ぶ 創作記録映画 上映会~生きること は 創ること~」というイベントから、「生(き)の芸術」について考えていく。上映された三本の作品の中から、記録映像『日本のアール・ブリュット パリに上陸するの巻』(二〇一一年)を考察していく。これから話していくのは、「アール・ブリュット」の過去だ。過去を考えるのにあたって、割と最近の出来事を扱うが、五年の月日が経てば、それは充分に過去という側面を確固たるものにしているだろう。

 本映像が記録しているのは、二〇一〇年三月から二〇一一年一月にかけてフランスのパリ市立アル・サン・ピエール美術館で開催された、「アール・ブリュット ジャポネ展」の表/裏舞台の様子である。本展覧会には、日本の六十三名の作家による約八百点の作品が展示された。オープニングレセプションに合わせて、大型バス一台を貸し切る程の人数の作家とその家族や介護者、関係者も実際に現地を訪れており、それに密着した映像は貴重だ。例えば、統合失調症を患っているすずき(漢字が難しい)万里絵は、現地の街中でインタビュアーを前に、次のような感想をもらしている。

「他の国ってあるんだなあ」

ハッとさせられる。それはもはや、障害のあるなしに関係なく、その素朴な感性に対してだ。

 本作が「アール・ブリュット ジャポネ展」の舞台裏として映し出す見どころの一つに、著作権の問題への対応争議がある。障害者の作品を出展する場合に、フランスでは当然必要な著作権の所在が、日本ではまだまだ曖昧となっていたのだ。本展の日本側の窓口である滋賀県社会福祉事業団の北岡賢剛と関係者が中心となって開いた会合では、障害者本人に帰属できない場合に成年後見人制度を使うかどうかなど、いわば著作権のエンパワートメントが争点となった。この課題は世に広く問われるべきだと思い、ここで紹介したが、私が本論で本作の最重要シーンとして挙げたいのは、表舞台における次のシーンである。

 カメラは会場に訪れた観客にも向けられ、時にはインタビューも行っている。その中で、イギリスのアール・ブリュット専門誌『RAW VISON』の編集長、ジョン・メーゼルが次のようにコメントするシーンがある。

 「(日本の作品は)グラフィック的な要素が多い」

まず、彼の本意かどうかは定かではないが、少なくともこの台詞を使った本作の監督である代島治彦には注意が欠けている。すなわち、この台詞は、一見して日本のアール・ブリュット作品に対するポジティブな評価を示しているが、裏を返せば、グラフィック的な要素の少ない作品を貶めるだけのシーンになっているのだ。本当に、日本の作品の多くはグラフィック的に優れているのだろうか。確かに、そうとも言えるし、西欧の人間からすればそうとしか見えないのかもしれない。だが、本作に映る数多の作品を鑑賞する限り、グラフィック的に優れていない作品にも良さがあるように思える。果たして、グラフィック要素以外のポジティブな面を、本作が他の場面でフィーチャーしているとは言い難かった。百歩譲って、それが現実なのだと言うのであれば、それをフォローするシーンを入れるべきだろうが、作家の田口ランディが、「人を夢の世界に連れていくアートなんだなって感じた」とか、辻仁成が「すごーい、いいでしょう」などと凡庸な批評を述べるばかりである(彼らは仕事モードではなく一観光者や、一ファンとしてカメラの前に立ったに過ぎない)。そして何より、この台詞は日本のアール・ブリュットの将来に関わる問題を孕んでいる。作品を評価する場合は、当然その時点での評価にはなる。だが、映画は(その意味でも本作はあくまで「映像作品」に留まるのだが、)作品の評価を下す審査員ではない。審査員がいるとしたら、それは映画を観ている観客しかありえないし、そのために映画の批評性は拓かれていることが望ましい。そして、観客に限らず、芸術作品を批評する場合は、そもそもその作家の未来をも視野に入れなければならない。何故ならば、作家の作風は変わりうるからだ。一人の作家を十年単位で追う事の意義は忘れられがちである。であるからして、安易なこの台詞を使用したシーンは、むしろ日本のアール・ブリュットの将来の、雲行きの怪しさを私たちに伝えてくれる。そのことは、アフタートークでも、代島に対して山上徹二郎が指摘した点でもある。

 そもそも、日本におけるアール・ブリュットの成り立ちを思い返したい。障害者の諸芸術ジャンルの中でもアートというジャンルは、現代美術から一線を引かれた特に厳しい状況にあった。それが、先にヨーロッパで認められたことで、日本の現代美術界に逆輸入された。それは必然的なプロセスだったのかもしれないが、それと同時に「アール・ブリュット」という言葉の意味が、「障害者の美術」と規定されてしまった。前回から見てきたように、「アール・ブリュット=生の芸術」は、「障害者の美術」に限定されない。生への衝動・欲求を孕む、あらゆるジャンルの芸術を指す言葉だ。しかし、残念ながら本作『日本のアール・ブリュット パリに上陸するの巻』(二〇一一年)が私たちに教えてくれたことは、テン年代に入った時点でも、「アール・ブリュット」という言葉が本来の機能を失っているということである。それは、「障害者の美術」にとっても、「生への衝動・欲求を孕むあらゆるジャンルの芸術」にとっても、まさに生き辛い状態を作っている。そこで私は、本作を「アール・ブリュット」の過去、すなわち問題点と位置付け、そこから今後の展望を示していくことにする。