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『スピラレ スキップト』

一回飛ばしの批評です。 2013年、渋谷にある映画美学校にて開講された「批評家養成ギブス第二期(主宰:佐々木敦)」の修了生有志による、批評同人誌『スピラレ』のWEBサービスw http://spirale.hatenablog.com/ twitter@spira_le

【連作批評】「障害者と旅する」第十七回 textたくにゃん

写真における作為/作意(3)

 

  トゥオンブリーの描画技法にみる「越境性」

 

 ドキュメンタリー映画『ぼくは写真で世界とつながる』(マザーバード、二〇一四年)の主人公で自閉症(+中度の知的障害)のアマチュアカメラマン、米田裕二(以下、裕二君)の写真に対する批評を試行する上でこれまで重視してきたのは、彼がデジカメのファインダーすら覗かず被写体を瞬時に切り取る/撮るその技法でした。それは二人の写真家、鈴木理策中平卓馬の方法論と近似しています。それらを、「作為をこめない作意」と呼んできました。それを今回は、アメリカのヴァージニア州出身の芸術家が撮った写真の中に見出していくところから始めて、最終的には写真以外の芸術へ目を向けていきたいと思います。

 「サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―」展が、DIC川村記念美術館で開催されています。トゥオンブリーは二十世紀を代表する画家・彫刻家として、特に自由闊達な線描画で知られています。昨年、原美術館にてサイ・トゥオンブリー展「紙の作品、50年の軌跡」が開催されましたが、変形された紙に指で直に塗りつけられるアクリル絵具で即興的に描かれた作品群に胸を打たれた人も少なくないでしょう(八〇年代の作品群には、ビートニク詩人からの影響がありました)。本展では、彼の二〇代前半から二〇一一年に逝くまでの六〇年間に撮った一〇〇点の写真の他、絵画や彫刻作品も数点ずつ展示されています。まず目に留まるのが、五〇年代に撮られた写真です。例えば彼が生涯の住処として選ぶことになるイタリアはセリヌンテとアグリジェントのギリシャ遺跡を撮った作品がありますが、光と影の配合が絶妙に感じられますし、打ち捨てられ積み重なっている巨岩の一体一体からは何か声が聴こえてくるような気がします。今述べたことは個人的な感想ですが、これらの写真が二〇代前半という若かりし時期に撮られたことを感じさせない逸品であることは、私よりも彼について詳しい評者たちが認めるところです。そのうちの一人、DIC川村記念美術館学芸員 前田希世子は彼の「写真」と「描画」の連関について、本展の図録の中で興味深い考察をしています。(その内容を紹介する前段に、三行だけ補足説明があります。本展で展示されている写真は六〇年間に撮り溜められた作品ではありますが、実際のところそれらには撮影された年代に大きな断絶があります。五〇年代前半に撮られた一四点を除けば、残りは全て八〇年代以降に撮られた作品なのです。それでは、その空白の期間は何だったのかと言えば、彼はドローイングに熱中していたのでした。)さて、ようやく前田の考察内容をご紹介できるのですが、彼女によればトゥオンブリーが八〇年代に再開した写真の制作方法と、ドローイングの「描画技法」は類似しているようです。というのも、それらの写真の多くは「対象のクローズアップで輪郭はぼやけている」からです。なぜ、「クローズアップ」で撮るのか。それは、そもそも絵を描くという行為が、「手元しか見ることが出来なくなる」という要素を孕んでいることと関係していいます。それは、部分しか見えず、全体が見えないということを意味します。この要素を前田は、「盲目性」という言葉で言い表しています。トゥオンブリーは、この「盲目性」を「写真」に持ち込むために「クローズアップ」で被写体の「部分」を「接写」しているのです。その結果として「輪郭」の「ぼやけ」た写真が生まれます。それは、あえて「全体」を見えなくするということです。なぜ彼は、「描画」と「写真」に「盲目性」を持ち込むのか。それは、そこに「不確定低要素」が入ってくるからです。トゥオンブリーの作品に見られる線描の自由闊達な魅力は、一つここから来ていると考えられます。自らの手に負えない何かと共存してこそ、作品は作家の手を離れて他者の手に届くのでしょう。つまり、彼の写真にも「作為をこめない」という「作意」があるのです。

 ここから、前回までの議論を踏まえて考察していきましょう。鈴木理策の場合、「作為をこめない作意」は「写真の棘」を追求しての結果でした。中平卓馬の場合、それは写真に「匿名性」を宿らせるためのものでした。それらは、トゥオンブリーが写真に「不確定要素」を含ませる意図とも技法面において親和性があったのです。ということは、同様の技法を擁する裕二君の写真にも何か、「不確定要素」が含まれていたのでしょう。それは一つに、京都府八幡市という地元を離れて、「沖縄」の人や風景を撮影したすべての写真に潜んでいると考えられます。なぜなら、自閉症である彼にとって、慣れていること以外のすべてが「不確定要素」だからです。そう考えると、地元の写真を中心とする中平卓馬的な試行/志向と、トゥオンブリー的な試行/志向は真逆のベクトルを孕んでいることが明らかになります。そして、双方の「写真の棘」をも持つからこそ、裕二君の写真は最強なのだと、現段階では結論づけることができるのです。

 ところで、トゥオンブリーの「接写」という技法が、「描画」から発展したという背景に関しては、さらに論じる余地があります。というのも、そこには多様なメディアの越境性が見られるからです。裕二君の写真を、写真論の文脈から逸脱して考察していく時期が、そろそろ来ている予感がします。いや、そもそもあらゆる芸術のジャンルは本来一つだったとしたら、メディアの越境を前提に論じることこそ王道ではないでしょうか。本展に「彫刻」作品が数点展示されていることは述べておきましたが、実はそんな「彫刻」作品を映した「写真」作品がありました。それは、「絵の前の彫刻」(一九九二年)という作品です。それは、犬の絵の前に幾何学的な形象をした彫刻が置いてあるものを、四角いフレームで切り取っただけの写真です。これを見た時私は、彫刻よりも絵が映えていると感じました。その理由は、二次元(絵画)と三次元(彫刻)を二次元(写真)に収めた時には、二次元(絵画)の方が三次元と比して相対的に二次元に馴染むからだと考えます(もっとも、それを前提として改めて三次元の彫刻を見つめると、その魅力も浮かび上がってきたのかもしれません)。驚愕したのはそのあとです。その写真が展示されている位置から百八十度振り返ったところに、そこに映っていた彫刻作品自体が展示されていたのです。そして、その彫刻作品は、そこに存在するというだけで私の目にまず、とても魅力的に映りました。この彫刻とは、「イオニア海のほとり」(一九八八年)です。「イオニア海」とは、地中海とアドリア海の間、イタリア半島ギリシャ半島の間に位置します。考えてみれば、特殊な海に思えます。なぜならそこは、地中海でもアドリア海でもおかしくなかったエリアにも関わらず、そのどちらでもないのです。ここに、「間(あいだ)性」とも呼べる特性が感じられます。そしてそれは、トゥオンブリーが「絵画」と「彫刻」を「写真」に収めたことで浮かび上がってきたことからも、メディアの「間性」をも象徴しているのではないでしょうか。つまり、メディアを越境してこそ作品が魅力的になるということが芸術にはあるのです((一)で言及した鈴木理策写真展においても、ヴィデオ作品が二点あることに触れておきましたが、そのうちの「火の記憶」に映る火の粉、いや、火の玉は写真の「分離」を謳っているように感じられました)。そして、その契機が「写真」にあったということが本論で肝要なところです。「写真」は現像までの時間を抜きに考えれば、瞬間的に完成される芸術と言えます。ところが、一瞬で世界を変えることができる、と言ってしまったならば胡散臭いキャッチコピーに成り下がってしまいます。一瞬で世界は変わらないし、スマホ全盛期の現代は写真大衆化時代でもあります。しかし、第一回で言及した「写真分離派」宣言に倣えば、そんな状況だからこその「写真」があるはずです。言い換えれば、世界とは、あなたにとっての現実です。写真とは、あなたにとっての一枚です。あなたの現実を一枚の写真が変えてくれることがあるとしたら、それが一瞬であったとしてもおかしくはないはずです。そんな一枚の写真と出会う日々を過ごすために、私たちは裕二君の写真の「ほとり」で粘り強く考え続けていきましょう。