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『スピラレ スキップト』

一回飛ばしの批評です。 2013年、渋谷にある映画美学校にて開講された「批評家養成ギブス第二期(主宰:佐々木敦)」の修了生有志による、批評同人誌『スピラレ』のWEBサービスw http://spirale.hatenablog.com/ twitter@spira_le

【短評】情報に遠近法は関係しない text綾門優季

贅沢貧乏『みんなよるがこわい』(三鷹北口共同ビル2階、2015年)は4人芝居というよりも1人+3人芝居で、1人の心中のネガティブな思考回路や葛藤が、3人の口喧嘩という形で表現される。

3人は同じ衣装を身にまとっていて、1人の寝ているベッドの下の狭い空間を更に三分割した、狭い狭い空間の中に押し込められており、上演中にそこから出ることはない。

極度に動きが限定されているため、少し動いただけで簡単に頭が下に、足が上になる。

3人の大きな動きといえば、自分の空間の隣の壁を叩いて干渉を試みること、自分の空間の照明をつけたり消したりすること、これぐらいしかない。

上演時間の大半は、ナンパをしてきたよく知らないひとに、心細い夜だからという曖昧な理由で、電話をかけるかどうかの逡巡に費やされる。

1人芝居であればあまりにも小さな出来事を、3人の豊かな表情と声色、バラバラのようで妙に一体感のあるコミュニケーションによって、まるで大きな出来事であるかのごとく誇張し、大風呂敷をじりじりと広げていく。

そこには被害妄想とも、遠い未来に本当に起こるかもしれない可能性とも取れる不安が滲んでいる。

ナンパをしてきたひとが電話をかけてみると自分のことをちっとも覚えていなかったというショックと、一見自分とは何の関係もないと思えるほどに距離感の遠いニュースが、自然と脳内に流れ込んで、感情を増幅させていく。

ここで重要なのは、情報に遠近法は関係しないということだ。

この作品のラストシーン、おなかがすいて夜中に食べる食パンが不味いというどうでもいい悲しさが、出来事の大小に関係なく、これからも生きていかなければならないことそのものへの絶望に繋がってしまう。

不安の堆積に押し潰されるのはその出来事が重いものだからではなく、タイミングが悪かったからなのだ。

 

リアリティのない設定を採用して、リアリティのある感情の機微を描くことに特化している作品が近年多いのは、現実の株価が急速に低落してきており、興味の方向がむしろ近い未来に向いてきているからだろう。

これまで以上に現実が酷くなる危機に敏感になるほうが、今を生きる人々にとって、生理的に受け取りやすくなってきているからだろう。

それは望むべき変化ではないかもしれないが、防ぎようがない変化でもあるだろう。